卵を運ぶ

今日の私の任務。

それは「卵を運ぶ」ことだ。

 

いつの間にか1パック160円を超え、価格の優等生と言われた時代はいつへやら。

卵、10個入り、1パック。

これを近所のスーパーから自宅まで運ぶわけである。

そうしないと、明日の夕食は、無い。

 

しかし、卵運びというのはとにかく神経を使う。

卵が1パックかごに加わっただけで、まるで別の扱い方になってしまう。

 

その扱い方について考えてみると、まるでゲームにあてはまらないことばかり要求されていることがとてもコッケーだ。

例えば、荷物が増えると持ち運びが難しくなる。ゲームの中では無尽蔵にアイテムが持てるのだから、アイテム欄の上下関係なんて考えることもめったにない。

(「ボクらの太陽」みたいにチョコレートが太陽で溶けたら、下の欄のアイテムがチョコ塗れになっちゃうようなゲームは除く)

 

ボクらの太陽

ボクらの太陽

 

 

他にも、衝撃に対してデリケートになる。自転車だと段差を1つ超えるたびに、卵がどうなってるか気になって仕方なくなる。地上に多少の段差があっても走り続けられるゲームの世界とは違う。

(少々の段差でさえも落ちたら死んでしまう「スぺランカー」のようなゲームは除く)

 

スペランカー

スペランカー

 

 

しかし、良く良く考えてみたら、ゲームと卵運びを繋げるのもお菓子な話。

そんなゲームなんてほとんどないのである。

(いやまてよ、そういえば、おじさんを起こすのに必要なゲームが・・・)

 

ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D

ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D

 

 

あった。

 

・・・でも、ましてや卵が主役のゲームなんて

 

ぐでたま おかわりいかがっすかー - 3DS
 

 

あった。

 

卵運びとゲーム。卵とゲーム。私とゲーム。

これだけ繋がってるんだから、「卵と私」だって・・・

繋がってる訳ないか。 

卵と私 (1951年)

卵と私 (1951年)

 

繋がってた。

 

まとめ

卵を通じて、僕達は繋がっている。